慰安婦リスト

表1:『証言』にみる朝鮮人「慰安婦」の連行年齢
出典姓名生年連行時の年齢日本語翻訳
証言集1
(19 人)
金学順 キム・ハクスン1924 年17歳『証言集(上)』
金徳鎮(仮名)=金順徳 キム・スンドク1921 年17歳 
李英淑 イ・ヨンスク不明(1922 年?) 17歳 
河順女 ハ・スンニョ1920 年20−21歳 
呉五穆 オ・オモク1921 年16歳 
黄錦周 ファン・クムジュ1922 年20歳『証言集(上)』
文必琪 ムン・ピルギ1925 年18歳『証言集(上)』
李容洙 イ・ヨンス1928 年16歳 
李玉粉 イ・オップン1926 年12歳 
文玉珠 ムン・オクジュ1924 年16歳『証言集(下)』
李順玉(仮名)イ・スノク1921 年17歳 
李相玉 イ・サンオク1922 年15歳 
李得南(仮名)イ・トクナム1918 年22歳 
李容女 イ・ヨンニョ1926 年16歳 
金台善(仮名)キム・テソン1926 年18歳 
朴順愛 イ・スネ1919 年23歳 
崔明順(仮名)チェ・ミョンスン1926 年19歳 
尹頭理 ユン・トゥリ1928 年16歳 
姜徳景 カン・ドッキョ1929 年16歳『証言集(上)』
証言集2
(15 人)
崔イルレ1916 年16歳 
朴ヨニ(仮名)=朴酉年 パク・ユニョン1921 年18歳『証言集(下)』
金ブンソン1922 年15歳 
ペ・ジョッカン1922 年17歳 
呂福實 ノ・ポクシル1922 年17歳 
チン・ギョンペン1923 年15歳 
金春子 キム・チュンジャ1923 年15歳 
朴頭理 パク・トゥリ1924 年17歳『証言集(上)』
孫パニム ソン・パニム1924 年17歳 
全錦花 キム・クムファ1924 年17歳 
68
出典姓名生年連行時の年齢日本語翻訳
金福童 キム・ポットン1926 年16歳『証言集(下)』
姜舞子(仮名)カン・ムジャ1928 年14歳 
崔ジョンレ1928 年14歳 
朴スニ(仮名) 1930 年14-15 歳頃 
金ウンジン1932 年12-13 歳頃 
証言集3
(14 人)
フン・ハルモニ1924 年
または25 年16 歳頃?
金ソラン(仮名) 1926 年18歳『証言集(下)』
金君子 キム・クムジャ1926 年17歳『証言集(下)』
金オクジュ1923 年17歳 
金ウンレ1926 年17歳 
沈達蓮 シム・タリョン1927 年12-13 歳頃『証言集(下)』
チョ・スンドク1921 年19 歳 
チェ・ファソン(仮名) 1927 年
(戸籍上1930 年) 15 歳(満14 歳)
ファン・スニ1922 年12歳 
キム・クッスン(仮名) 1914 年
本人23 歳
(聞き取り者27、
28 歳と推測)
 
チョ・ナムレ1921 年16歳 
ハ・ヨンイ(仮名) 1922 年15歳 
シン・ヒョンスン1924 年18歳 
キム・ユガム(仮名) 1930 年14-15 歳 
証言集4
(9人)
金ファソン1926 年16歳 
金チャンヨン(仮名) 1925 年16歳 
ハン・オクソン1919 年19歳 
金ヨンジャ1923 年16歳 
崔カプスン1919 年15歳 
チョン・ユンホン1920 年22歳 
尹スンマン1929 年13歳 
金ボットン1915 年19歳 
安ポプスン1925 年17歳 
69
Q1 朝鮮人「慰安婦」は、なぜ少女が多かったのか?
〈注〉 1)出典は第1集=証言集1などとした。証言集(上)(下)とは日本語翻訳書を示す。
2)網掛け部分は成人を示す。なお、当時の国際法では20歳は未成年であった。
3)名前は漢字と読み方を併記したものもるが、そうでないものもある。
〈出典〉韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会(所)編『証言-強制連行された朝鮮人軍
慰安婦たち』は、タイトル・著者名・出版社に多少の変動があるが、第1集〜第6集まで出
版されている(1993年・97年・99年=ハヌル、2000年・01年・04年=プルピッ)。表1は、こ
の6つの証言集から筆者が作成したものである。
日本語版は、第1集の翻訳が従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク訳『証言-強制連行さ
れた朝鮮人軍慰安婦たち』(明石書店、1993年)で出版され、また、韓国の証言に北朝鮮およ
び日本在住の被害者証言を併せて翻訳・編集されたものに、アクティブ・ミュージアム「女
たちの戦争と平和資料館」(wam)編、西野瑠美子・金 富子責任編集『証言 未来への記憶
アジア「慰安婦」証言集ー南・北・在日コリア編 上・下巻』(明石書店、上巻=2006年、
下巻=2010年)がある。

(韓国)
金学順1941(17) 北京郊外(中国) 北京の食堂を出たところで無理やり日本軍人にトラックに乗せられた。
李玉善1942(15) 延吉(満州) 買い物に行く途中で日本人と朝鮮人の男に捕まり、トラックの荷台に押し込まれた。
姜徳景1944(16) 富山から女子勤労挺身隊で富山県の不二越工場へ。逃げ出したところを憲兵に捕まり連行。
姜日出1943(16) 長春・牡丹江(満州) 両親の留守中に家に来た日本人と朝鮮人の巡査と軍人が来て連れ出された。
朴玉善1941(17) 穆稜(中国) 小川で水を汲んでいる時に、腕章の日本人の男に両脇を抱えて引きずられてトラックに。
沈達蓮台湾・満州・サハリン
文玉珠1940(16) 東安省友達の家から帰る途中、軍服の日本人に腕を引っ張られて連れて行かれた。
鄭学銖1937(12) ハルビン(満州) 釜山の海辺にいたところを日本軍人に抑えられトラックに乗せられた。
李容珠新竹(台湾) 家にいるところを女性に手で招かれて、出て行ったところを軍人に連れて行かれた。
盧清子満州10人ぐらいの軍人に手足を捕まえられ、トラックに乗せられる。
沈美子1940(16) 福岡(日本) 警官に些細なことでとがめられて警察の連行され、その後、福岡に。
池ド伊1945(22) 石門子(満州) 見知らぬ女に騙された。
朴頭理1940(17) 彰化(台湾)
黄錦周吉林からトラックで(満州)
河床淑1944(17) 武漢(中国)
文必ギ1943(18) 満州村の男に「勉強ができてお金が儲かるところに連れて行ってやる」と騙された。
朴酉年40代の朝鮮男性に「お金にもなるし、きれいな着物も着られる」と騙された。
吉元玉1940(13) ハルビン(満州) 妓生学校に通っていた時、「満州に行けば稼げる」と言われて友達と行った。
文玉珠1942(18) マンダレー(ビルマ)
金福童1941(14) 広東・シンガポール・マレー半島・インド区ネ長シとア班長がカーキ色の服の日本人と来て「挺身隊(軍服を作る工場)に出しなさい」と騙された。
金君子1942(17) 琿春(満州) 巡査の養父に「お金が儲かるから行け」と言われた。
金ソラン1944(18) 「病院で包帯を洗ったり片づける仕事でお金がもらえる」と騙された。
張秀月1941(17) チチハル(満州) 工場の日本人監督に「いい稼ぎ口がある」と騙された。平壌駅には警察官がいた。
宋神道1938(16) 武昌(中国)
文明今1935(19) 孫呉(満州) 見知らぬ人に騙された。
裵サンヨプ1937(13) 包頭(満州) 騙されて連行。
朴莫達長沙(中国) 朝鮮人の男に「ご飯炊きの仕事」と騙された。
盧寿福1942(21) シンガポール日本人巡査に騙された。
洪愛珍1942(14) ハルビン・漢口(中国) マッコリ屋で働いていた時、店に来た朝鮮人と日本人に「いい着物も着られるしお金も稼げる」と騙された。
李鳳和1933(13)? 「北支」(中国) 朝鮮人の男に「うちに行けばご飯も一杯食べられきれいな着物も着られる」と騙された。
朴必璉1940(20) 天津(中国) 紡績工場の主人に「子守の仕事をしないか」と騙された。
裵奉奇渡嘉敷島(沖縄) 日本人と朝鮮人の「紹介人」の男に「仕事せんで金儲かるところがある」と騙された。
朴永心1939(17) 南京・ラシオ・拉孟(中国・ビルマ) 日本人の巡査に「お金が稼げるいい仕事がある」と騙された。
李相玉1943(17) 順川(朝鮮半島) 区長が「処女供出だ」と言って村の娘たちと連れていかれた。
郭金女1939(16) 穆稜(満州) 製紙工場に事務室で日本人の監督と警察官に「明日、京城の食品工場に行くことになった」と言われた。
李桂月1937(15) ハルビンから松花江を渡って(満州)
李宗女1943(21) 仁川(朝鮮半島) 村の区長に「仁川のゴム工場で働けばお金をたくさん稼げる」と騙された。
金英淑1940(13) 瀋陽(満州) 日本人の巡査が来た時、奉公先の主人に「綺麗な服を着てお金をたくさん稼げるところに行こう」と騙された。
河順女1937(19) 上海(中国) 買い物で外出した時、日本人と朝鮮人の男に「金儲けができる仕事がある」と騙された。
李順徳上海(中国) 畑の畔道で朝鮮人の男に「履物も着物もやる。腹一杯食べられるところに連れて行ってやる」と騙された。
金欄伊1942(15) ラバウル(パプアニューギニア) 帰宅途中、日本人と朝鮮人の男に「倉敷の軍服工場にお金を稼ぎに行かないか 」と騙された。
李貴粉1937(12) 彰化・高尾(台湾)
朴福順1938(17) 石家荘他(中国) 「日本人の紹介するいい働き口がある」と騙された。
金福善1944(18) ラングーン(ビルマ)
白ノプテギ1939(18) 南京(中国) 夫に売られ、3人の朝鮮人の男に日本人に渡された。
裵春姫1941(18) チャムス(満州) 女衒に騙された。
朴ウドク1935(17) 青島・上海(中国) 女衒に騙された。
ヒョン・ビョンス1934(18) 九江(中国) 女衒に騙された。
張春月1936(17) 広水(中国) 父に売られた。
洪江林1938(17) 奉天・上海・長沙(中国) 親にも黙って、50歳くらいの女性に奉天に連れて行かれた。騙されて売られた。
林金ファ1939(17) 沙市(中国) 知り合いに「良い服が着られ金儲けもできる」と騙され、その後売られた。逃げ出したがまた売られた。
金順玉1943(21) 東寧(満州) 妓生に登録。東寧に売られていった。

(中国)

劉面換1943(15) 日本兵らに家族全員が外に出され、両手を縛られて進圭村の日本軍の駐屯地に連れていかれた。
李秀梅1942(15)
周喜香1944(19) 抗日運動の共産党の会合中、日本兵に襲われ、進圭村の日本軍の駐屯地に連れていかれた。
陳林桃1943(20) 村で会議をするからと呼ばれ、日本兵と清郷隊に進圭村の日本軍の駐屯地に連れていかれた。
侯巧連1942(13)
郭喜翠1942(15) 姉の家にいたところに日本兵と清郷隊が来て、八路軍に協力した姉の夫一家と共に進圭村の日本軍の駐屯地に連行された。
侯冬蛾隠れていた穴倉から引きずり出され、包囲していた日本軍に、進桂社の日本軍の拠点に連行された。
万愛花1942(13)
楊時珍1941(17)
高銀娥1941(16) 南社虐殺事件の時に、村人らと河東村の日本軍の砲台に連行された。
南二僕
王改荷村の抗日組織を急襲した日本兵に捕えられ、河東村に連行。
張先兎村を急襲した日本兵に拉致され、河東砲台に連れて行かれた。
趙潤梅西煙虐殺事件の時、日本兵は養父母に瀕死の重傷を負わせ趙さんを強かん、河東砲台に連行した。
尹玉林河東村を支配した日本兵に自宅で強かんされ、日本軍砲台にも連行された。
趙存妮1942(24) 日本軍が村を急襲した時、村人たちと逃げようとしたが、纏足だったため捕えられ連行された。
周粉英1938(21) 江蘇省(中国) 家で裁縫をしていた時に村長の弟に「日本軍の命令だ」と捕えられ、手足を縛られ手押し車で慰安所に連行された。
韋紹蘭桂林(中国)
趙  天津(中国) 日本軍が妓女を供出するよう命令。手先の中国人が妓女を捕まえトラックに乗せて連行した。
袁竹林湖北省卾城(中国) 「旅館の従業員の仕事がある」と騙され、船で日本軍区に連行された。
陳亜扁1941(14) 畑で働いていたところを日本兵に襲われ、銃で叩かれ駐屯地に連行。その後藤橋の慰安所に。
鄧玉民1943
林亜金1943(19) 日本兵に後ろ手に縛られて駐屯地に連行され、その後、数か所を移動させられた。
譚玉蓮1943(18) 戦地後勤服務隊の仕事中に日本兵に強かんされ、掘立小屋に入れられた。
譚亜洞1941,42(16,17) 戦地後勤服務隊の仕事中に日本兵に強かんされ、掘立小屋に入れられた。
陳金玉1940(14) 自宅に押し入った日本兵に強かんされ、山に隠れたがその後駐屯地に連行され、昼は作業、夜は強かんされた。
黄玉鳳1943() 日本軍の協力者に脅迫され日本兵に引き渡され、強かん。その後、昼は作業、夜は駐屯地の小部屋で強かんされた

(台湾)
鄭陳桃 1942(19) 派出所のワタナベ巡査に「学校に送ってやる」と言われ、車に乗せられ旅館に連れて行かれた。
高宝珠 1938(17) 役所から招集の通知があり、「日本軍のために働くように」と言われ、行った先が慰安所だった。
黄阿桃 1943(20) 「南洋で、看護婦の助手や炊事の仕事がある」と騙された。
蘇寅嬌 1943(20) 「働き口がある」と騙されて海南島の慰安所に連行された。
李淳 1942(22) フィリピン 区役所の仕事の抽選に応募。騙されてフィリピンに連行された。
1944(15) 台湾 タキムラ巡査に日本軍の部隊の雑作業をやれと命じられ、その後「慰安婦」に。
1944(13) 台湾 派出所の「ツバキ」に日本軍の部隊で雑作業を命じられ、その後「慰安婦」に。
1944(16) 台湾 警官の「カワハダ」に日本軍の部隊で雑作業を命じられ、その後「慰安婦」に。
盧満妹 1943(17) 「看護婦の助手などの仕事がある」と騙されて、海南島の慰安所に連れて行かれた。
李楊玉串 ボルネオ 知人に食堂の仕事があると誘われた
蔡桂英 1942(17) 海南島 ウエイトレスの仕事があると騙された。
呉秀妹 広州ほか(中国) 養母に売られて接客業に。海外で仕事をして早く自由の身になりたいと募集に応じた。
陳蓮花 1942(17) フィリピン 工場の上司から看護助手の仕事があると騙された。
香港 いい仕事があると駐在所の警官に言われ、軍属として徴用中の夫にも会えると思って応募した
1944(31) 台湾 駐在所の斡旋で日本軍部隊の雑用をするうちに、軍人から強姦される

(フィリピン)
アナスタシア・コルテス 1943(19) マニラ 日本兵に自宅を襲われ、縛られてトラックで(夫と共に)サンチャゴ要塞へ連行された。
アマンダ・レガラ 1944(35) マキシマの母親、市場に行く途中娘と一緒に日本兵に捕まり、近くの駐屯地に連行された。
アモニタ・バラハディア 1943(13) 川で洗濯をしていた時に日本兵に連行された。
アンドレサ・フェルナンデス 1943(14) レイテ島 早朝、泉で水浴後に、タナカという将校に捕まり駐屯地まで連行された。
ヴァージニア・ヴィリャルマ 1943(14) マニラ 通行中、日本軍に連行された。南埠頭の駐屯地
ヴィオレータ・ランサローテ 1942(17) 通行中、日本兵に連行された。
エステリア・サラス 1942(15) 自宅から日本兵に引きずるようにされ連行された。
オルテンシア・マルティネス 1943(16) マスバテ島 自宅に侵入した日本兵から銃剣を突き付けられて、父と共に駐屯地に連行された。
カタリーナ・オファルサ 1943(13) 長兄と二人で家にいた時、突然日本兵に襲われ駐屯所へ連行された。
カタリーナ・ソレソン 1943(29) マルベル(ミンダナオ島) 山間部の避難先で料理中、日本兵に銃剣を突き付けられたまま駐屯地へ連行された。
カルメンシータ・ラメル 1942(15) 買い物に行く途中、草むらにいた日本兵に銃剣を突き付けられ殴られて失神。駐屯地に連行された。
クリスティータ・アルコベル 1943(16) 銃や刀を持った日本兵に弟と共に駐屯地に連行され、タコつぼ堀りなどの重労働をさせられ、強かん。
コレア・シメオン 1943(13) 水汲みからの帰途、30人の部隊によって連行された。
コンドラーダ・アヤオ 1944(30) ボホール島 食料をとりに生家へ帰ったところを日本兵に腕をつかまれ、連行された。
サビーナ・ヴィレガス 1942(16) 日本軍は父を射殺。村の女性10人と林に連行され強かん。翌日駐屯所へ連行された。
シメオーナ・ラミール 1943(13) ルソン島 日本軍が兵舎にしたマリンダ小学校まで連行された。
シンプリア・マリラグ・チュア 1943(18) ミサに行く途中、樹上から日本軍に発砲され、突き飛ばされて失神、車で連行された。
ディオネシア・フマピット 1943(18) 買い物に行く途中、通りで3人の日本兵に捕まり、強かんされた後に連行された。
テオドラ・コグロン・インテス 1942(14) ネグロス島
トマサ・サリノグ 1942(13) 就寝中に日本兵が押し入り、抵抗した父は首をはねられ、サリノグは引きずり出されて連行された。
ナルシサ・クラベリア 1943(14) 自宅にやってきた日本兵に父母と幼い妹弟を殺され、3姉妹一緒に駐屯地に引きずられて行った。
パシータ・サンテリアン 1943(15) 山中の洞窟で日本兵に捕まり連行された。母も姉も幼児まで殺害された。
ピエダット・ノプレザ 1943(22) 裏庭で草刈り中、日本兵に腕を強くつかまれ連行された。
ビクトリア・ロペス 1942(19) 自宅で洋裁をしていた時、食糧調達にやってきた日本兵に駐屯地本部までトラックで連行された。
ピュリフィカシオン・メルカード 1944(21) 参加していたゲリラ・キャンプが日本軍に襲撃され、軍司令部へ連行された。
ビラール・フリアス 1943(16) ルソン島 家を焼かれて学校で暮らしていた時に日本兵がやってきて、縄で繋がれて連行された。
ヒラリア・ブスマンテ 1943(17) バターン州(ルソン島) 田んぼからの帰宅途中、日本兵に腕をつかまれ車に乗せられ、町の駐屯地へ連行された。
フェ・ヘディア 1944(14) 川に水汲みに行った帰りに日本兵に捕まり、両手を縛られトラックで連行された。一緒にいた妹は強かん後殺害された。
フェデンシア・ダヴィッド 1942(14) 市場で日本兵に殴られ、縛られ、ナイフで耳を切られて、連行された。
フェリシタス・ハンポリーナ 1944(10) 早朝、寝ている時に乱入してきた数人の日本兵によって、グバの元市庁舎に連行された。
フェリシダッド・レイエス 1943(14) 日本兵に小学校の教室から連れ出され、学校の隣に急増された兵舎に監禁された。
フェリサ・ボルナレス 1942(24) 自宅に押し入った5人の日本兵により、駐屯地まで徒歩で連行された。
フランシスカ・アウスタリ 1943(19) サンタクルス(ルソン島) 川で洗濯をしているとき、日本兵に連行された。3日目から強かん。
フリア・ポラス 1944(15) ダバオ(ミンダナオ島) 昼食の準備中、日本兵に殴られ、こめかみに銃をあてられ、髪の毛をつかまれてトラックに乗せられた。
プリータ・カニェード 1943(25) マニラ 日本兵に自宅から屋外へ連れ出され、車に乗せられて連行された。
プリシラ・バルトニコ 1942(17) ゲリラ討伐にやってきた日本兵に捕まり強かんされた後に駐屯地内の小屋に連行された。
ベアトリス・トアソン 1943(13) トラックに乗った日本兵が自宅に押し入り、抵抗した父母を殺害の後に連行された。
ヘルテルデス・バリサリサ 1944(25) ビコール(ルソン島) 日章旗を掲げた日本軍の車がやってきて自宅から連れ出され、駐屯地に連行された。
マキシマ・レガラ 1944(19) 母親と市場に買い物に行く途中で日本兵に捕まり、駐屯地に連行された。
マリア・カンポ 1943(18) サマール島 日本兵に銃剣を突き付けられ、両手を前に縛られて兵舎へ連行。
マリア・フェ・サンテリアン 1942(22) マニラ 父の経営する食堂で働いていた時、日本兵に暴力的に連行された。
マリア・マナレス 1942(14) マニラ 川で遊んでいる時、日本兵がくれたキャンデーにつられ、海軍艦艇に乗せられ連行、船上で監禁された。
マリア・ロサ・ルナ・ヘンソン 1943(15) マニラ 検問所で日本兵に呼びとめられ、そのまま日本軍の駐屯地に連れて行かれた。
ミラグロス・アトン 1942(14) 日本軍の洗濯をしていた母の手伝いで司令部に出入りするうちに知り合いになった日本兵に強姦された。
メテリア・クラベリア
リディア・アントニオ 1944(21) マニラからブラカン州へ食糧をもらいに行く途中、検問所で日本兵に捕まり、「慰安所」に連行された。
ルシア・ミサ 1944(15) ノルサガライ(ルソン島) 朝食を食べていた時に日本兵が押し入ってきた。両親と姉が惨殺され、私は連行された。
ルフィーナ・フェルナンデス 1944(17) マニラ 寝ていたところに押し入ってきた日本兵に父母と4人の妹は殺され、日本軍の車で連行された。
レヒーナ・カヤナン 1942(12) 母を強かん・殺害した日本兵により駐屯地へ連行された。
レメディアス・フェリアス 1942(13) 従姉妹の誕生祝いの最中に日本軍に襲撃され、強かん後連行される。
レメディオス・バレンシア 1943(23) マニラ
ロザリオ・ノプエト 1944(17) ミラグロ(パナイ島) 隠れていた洞窟から食糧を取りに自宅に帰る途中で、日本兵に捕まり連行された。
ロシータ・ナシーノ 1944(16) イロイロ(パナイ島)
ロベルタ・バカリャ 1942(17) おじの家で赤ん坊の世話をしている時に日本兵に捕まり、手を後ろで縛られて駐屯所に連行された。
ロリータ・フェリシダリオ 1943(15) 石鹸を買いに行く途中、日本兵に銃剣を突き付けられ、トラックに乗せられ連行された。
ワニタ・ハモット 1944(20) マニラ 日本兵にアパートを急襲され、男たちは刺殺され、ハモットは強かん後、駐屯所に連行された。

(インドネシア)
マルディエム 1942(13) ボルネオ・トゥラワン
スハナ 1942(16)
氏名 連行地 連行方法

(オランダ)
ジャン・ラフ・オハーン 1942(19) スマランの慰安所 アンバラワの第六抑留所で日本兵に選別され、慰安所に連行された。
エリー・コリー・ブローグ 1942(19) スマランの慰安所 スマランのハルマヘイラ抑留所で日本兵に選別され、慰安所に連行された。
氏名 連行地 連行方法

(マレーシア)
ロザリン・ソウ 1943(27) トンロックホテル(マレーシア)


(東ティモール)
マルタ・アブ・ベレ 初潮前 ボボナロ県マロボ 道路工事に駆り出され、その後日本軍に協力するリウライ(伝統的首長)によって日本兵に引き渡され「慰安婦」にされた。
エスメラルダ・ボエ 初潮前 ボボナロ県メモ
ボボナロ県ボボナロ
リム・ファ・イン アイレウ県アイレウ
※エレーナ・ピント ビケケ県ウアトカラバウ 「慰安所」に連行されたが、その際に怪我を負ったためそこには置かれず、リウライの家で下働きをさせられた。
初潮前 ビケケ県ウアトビナロ リウライや村長や両親が殺されるのを恐れて命に従い、終戦まで「マタハリ」という将校に占有された。
フランシスカ・マセド コバリマ県スアイ
ジェラルダ・カルドゾ
広東(中国)・ビルマ
バリクパパン(インドネシア)
海南島(中国)
イアン・アパイ(タロコ族)
イワル・タナハ(タロコ族)
トヨ・カゲ(タイヤル族)
紅砂(海南島)
1943(22)
1939(23)
アニカ(李温紅柿=ブヌン) 1942(22)
雷春芳(タロコ)
国(地域) 連行年/歳
サンイルデフォンソ(ルソン島)
イサベラ州(ルソン島)
イロイロ州(パナイ島)
カピス州(パナイ島)
ソルソゴン州(ルソン島)
ブラカン州(ルソン島)
タクロバン市(レイテ島)
アクラン州(パナイ島)
パンパンガ州(ルソン島)
リサール州(ルソン島)
ラプラプ市(マクタン島)
市場で野菜や米を売っていた時にトラック2台できた日本兵に捕らえられ連行された。
サンホセ(パナイ島)
バリントッグ(ルソン島)
パンダン(パナイ島)
アクラン州(パナイ島)
サンフェルナンド(ルソン島)
ソルソゴン州(ルソン島)
ソルソゴン州(ルソン島)
ダソール(ルソン島)
ソルソゴン州(ルソン島)
ミラグロス(マスバテ島)
カピス州(パナイ島)
ブラウエン(レイテ島)
ロハス(パナイ島)
サンイルデフォンソ(ルソン島)
セブ(セブ島)
1943( ) バリントッグ(ルソン島) ナルシサの姉、自宅から(3姉妹で)日本兵に駐屯地まで連行された。
ブラカン州(ルソン島)
ブラカン州(ルソン島)
ブラウエン(レイテ島)
市場で魚を売っていた時に3人の日本兵に抱きかかえられるようにして連行された。
祖母の家に行く途中で5人の日本兵に拉致され、近くの日本軍の駐屯地に連行された。
ナガ(セブ島)
ソルソゴン州(ルソン島)
国(地域) 連行年/歳
バンジャルマシン市長正源寺の「ボルネオで芝居をする」という募集に騙された。
バンドン(ジャワ島) 自宅の前にいたところを6人の日本兵に捕らえられ、慰安所に連行された。
国(地域) 連行年/歳
国(地域) 連行年/歳
自宅にやってきた日本兵に幼い2人の子供と引き離され、無理やりトラックで連行。
国(地域) 連行年/歳
畑仕事の最中に日本軍の軍人から声をかけられ家族や村長の名前を尋ねられた。その夜地域のリラウイと日本人が自宅に来て、無理やり「シモ
ムラ」という日本軍将校の家に連れていかれた。その後「シモムラ」を含む3人の将校に仕えさせられた。
マリア・ロザ・フェルナンダ・ノ
ローニャ 12歳
日本軍は村長やリウライを脅して女性を集めた。村長から「拒めば両親が殺される」と言われた。その後「オハラ」、次に「タニヤマ」という将校に占
有された。
14、15歳
中国人のポンベラ(日本軍協力者)によって家から連行され、2年間日本軍の飯炊きをさせられた。その後中国人だけが集められた慰安所に入れ
られた。
エスペランサ・アメリア・フェル
ナンデス
日本軍の命令を受けたダタトルの村長に呼ばれ、スアイのベマタにある慰安所に連れて行かれた。従わなければ親を殺すと言われた。
コバリマ県スアイ及びベコ、ボボナロ県ボ
ボナロ
日本兵が村にきて男女をかり集めた。まずスアイに連れて行かれ昼はサゴ椰子の加工、夜は「慰安所」で働かされた。次はベコに連れて行かれ同
じことをさせられた。最後は日本軍の駐屯地があるボボナロに移され、ボボナロの「慰安所」で終戦まで働かされた。

クレメンティナ・カルドゾ
コバリマ県ズマライ
ラウリンダ・フェレイラ
初潮前 コバリマ県スアイ 日本軍がスアイで道路工事をする際、ベコ・トウアンから連行されて慰安所に入れられた(司令官名:「トリイ」「トミカズ」)。
バウカウ県オッス カテキストだった夫が日本軍に殺された後、日本軍に捕らえられ「ミヤハラ」という将校に終戦まで占有された。
マルガリータ・ホルナイ マヌファヒ県キラス
マルセリーナ・ダ・コスタ 初潮前 マヌファヒ県コタララ及びバオルメンタ
アリシア・プレゴ マヌファヒ県サメ
パラミラ・パイシェコ 日本軍が来た時にサメから南岸のベタノまで逃げたが、結局日本軍に捕まって「オノ」という将校に占有された。
ビルジニア・コスタ
マヌファヒ県サメ
日本軍の将校に言うことをきかねば彼女も家族も殺されると脅され、従った。
マヌファヒ県サメ
イネス・デ・ジェスス ボボナロ県オアト
マダレータ・デ・ジェスス ボボナロ県オアト
サラ・ダ・シルバ
バウカウ県バウカウ
バウカウ県オッス
氏名 連行地 連行方法
日本 1939(18) 台湾・サイパン・トラック島 父親の借金の形に遊廓に売られ、台湾の「海軍御用」の慰安所に。その後、サイパン島の慰安所に。
17.18歳
日本軍の命を受けたリウライ/村長によってワラ村の男女がかり集められ、スマライで道路工事をさせられた。日本軍の兵士は女性たちの小屋から
気に入った者を兵舎に連れて行き、集めた女性たちに性の相手をさせた。
※エルダ・サルダーニャ(家族による証言)
連行後「慰安所」から逃亡したが、村長が家族を呼び出し体罰を与えた。結局.捕まって「コマキ」という将校に強姦され慰安所に連れ戻された。
日本軍が催した祭で目をつけられ、リウライに命令が下った。リウライが従わないでいると銃と縄を持った者が現れて脅した。両親やリウライの身を案じて従うと「ミチ」という名の軍人に引き渡された。終戦まで「ミチ」や「スミ」という将校に占有された。
日本軍が来ると家族は彼女を山中に隠したが、日本軍の手下に騙されて山を下りたところ捕まった、日本兵に引き渡され「タカラキ」という将校にレイプされた。しかし、レイプされた後彼女は逃亡した。日本軍はリウライ・ドゥアルテを脅迫し、リウライは人々に命じ彼女を日本軍に引き渡した。彼女は終戦まで「タカラキ」に占有された。
マヌファヒ県サメ,ベタノ
マリアナ・デ・アラウジョ・ダ・
コスタ・マルケス
日本軍が来ると村人とともに山に逃げたが、日本軍に協力する男に通報された。その男は日本軍の命で女性を集めたが、アリアナは
引き渡さず彼女をレイプした。その後リウライの叔父の家に身をよせたが、そこにも追及の手が及び、結局サメの慰安所に入れられ
た。
日本軍の命を受けたリウライ、ドミンゴスによってオアト村の「慰安所」に入れられた。村長には家も名前も知られているので逃げることなどできなかった。「慰安所」で生まれた子どもは日本軍の撤退時に奪われた。
同じくリウライ、ドミンゴスによってオアト村の「慰安所」に入れられた。日本兵は「おとなしくしないと首を締めて殺すと脅した」と語る。
19歳
日本軍が来た時、バウカウのデラガタまで逃げたが、結局日本軍の手下に見つかり、バウカウのライスルライの「慰安所」に連れて行かれた。
マリアナ・デ・ソウザ・フレイタス
日本軍はバウカウのブルコリまでやってきた。ある日日本軍の中尉が家にやってきて両親に彼女が欲しいと言った。親はそれを拒否することはできず、彼女は終戦までその軍人と暮らした。戦後彼女はその軍人の子ども生んで育てた。

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